
色にたくさんの意味があるのは、人の感情に喜怒哀楽があるからと言ってもいいかもしれません。
心に寄り添うだけのキーワードがあるので、過酷な現実に押しつぶされて自分ひとりで考えて解決できないとき、気になる色を通してもうひとりの自分に解決策を問うことができるのです。
たとえば、緑色がいつもより美しく見えたとき、緑色の意味に心を傾けてみると自分の中の心の美しさに気づくキッカケを見つけることができたり、自分の心にゆとりを持つための一休みのサインとして受け取ることができます。
ただ、ここで気をつけたいのが、もしも、ゆとりが必要だなと思ったとき、「ゆとりがない自分はダメだ」「情けない」などとは思わないことです。
物事をいい・悪いの判断で見てしまうと、判断が批判となり嫌悪感や悲観的な感情が芽生えやすくなります。せっかく本当の自分の気持ちに気づけたというのに自分を責めてしまっては元の木阿弥です。
物事の捉え方は、いい・悪いではないし、何よりひとつではないからいいのです。改善点が見えたとしても、それは、自分自身がよりよくなるための通過点、成長するための通過儀礼、必要な人生の道のりなのです。
捉え方はひとつではないという点で、たとえば、涙もろいといっても、優しくて涙もろい人もいれば情緒不安定で涙もろくなることもあります。ここで忘れたくないのが、だからといって、情緒不安定であることがいけないことだとは言いきれないということ。
情緒不安定になるプロセスにおいて、そこまで心を駆使して生きているというのは、体当たりで人生を生きてきた証。自分の人生を蔑ろにしていない妙々たる状態と言えます。
とはいえ、気分が晴れやかでなければ決して喜ばしいはずもなく、「情緒不安定だ。やったー!」となるわけではないのは当然です。そんなとき、色の言葉をどう受け取るかが鍵になってきます。
解決したいテーマが浮き彫りになったとき、CPAAでお伝えしている色彩心理学、色のカウンセリングでは、ネガティブな意味をネガティブなままでは決して終わらせず、色が本来持っているあらゆる側面から紐解いてゆきます。
不安の裏にある喜び、絶望の裏にある希望、「死にたい」の裏にある「生きたい」。
色はネガティブな意味とポジティブな意味が両方あって、その両方で成り立っています。それは、死にたいくらい苦しいときでも、苦しさと並んで自分を生き抜く強さや自分に優しくしてみようという優しさも間違いなく存在していることに気づくチャンスです。
ネガティブの裏にはポジティブが必ずあるということ。能天気なポジティブではなく、濃厚なポジティブに気づくことができるのです。
個人的には能天気なポジティブもわりと好ましく感じていますが、気分が沈んでいるときにはその状態と同じトーンで色が少しずつ心に光を当ててくれるので、わたし個人の主観(好みや考え方)など全くもって必要ありません。CPAAの色のカウセリングでは、自分で選ばれた色の意味だけで十分に必要なメッセージを受け取れることを感じてほしいこともあり、忠告やアドバイスを目的とはしていません。色には顕在意識にも潜在意識にも訴えかけられるだけの意味がギッシリ詰まっていて無限の可能性に満ちあふれています。
誰かの意見によって行動が変わるのではなく、(色を通して)自分の心の声、本音や意見を受け取ることで自分自身の力で解決に導くため、自己肯定感や自尊心が自然と高まっていくことも期待できます。人からアドバイスをもらわないと動けないようでは自分を信じられなくなってしまいます。もちろん他人のアドバイスが必要なときもありますが、もうひとりの自分からのアドバイスは答えにズレがなく、本当に求めている言葉なので安堵し、心がポジティブに動き出すことができるのです。
自分の意思で動き出した心は、爽やかだったり、勇ましかったり、ワクワクしたり、それもまた人それぞれ。結果はひとつだけではなく感じ方も考え方も行動の仕方も十人十色。ひとりひとりが個性のある唯一無二の存在であること、それぞれ自分の答えを持っているということを理解し、相手を認め自分も認める、そんなキッカケになるところも色彩心理学の魅力のひとつです。