
講座やカウンセリングをしていて、ここ数年で耳にするようになったのが「承認欲求」という他者から認められたいという欲求の話題です。
とても素直に率直に「承認欲求が強すぎて、なかなか自分に自信が持てないんです」と、おっしゃる方もいれば、「少し抜け出せてきたかも」という話をしてくださる方もいて、いずれにせよ、近年、SNSで自己表現する人が増えたり、目立つ起業家の影響なども受けてか、自立して自分のやりたいことをやっていきたいと思う方が増えているように思います。
そんな中で、じゃあ自分らしく自分ができることで上手くいくにはどうすればいいのか、自分の強みが知りたい、自分はいったいどんな才能があるのか?いや、ないのか?といった具合に、自分と向き合うつもりが、強みや個性、才能が目立つ誰かを目にすると、どうしても気になってしまい、自分ではなく他人に意識が向いてしまう、これは自然なことなのかもしれません。
ただ、だからといって他人の価値ばかり気にして自分の価値を認められないと、上手くいくはずのことでも上手くいかなくなってしまうことがあります。
自分も他者もリスペクトする
他人の凄さに惑わされて、他人の成功に圧倒されて、他人からの目線ばかりが気になってしまって、他人の承認を得たいと思うよりも、まずは自分が自分を認め、受け入れ、自分自身をリスペクトしなければ、本当の意味で他人のこともリスペクトはできないのではないかと感じます。
ただ凄いなと羨むような気持ちで、本当の意味で他人をリスペクトできないと人の凄さにやっかみを感じたり、足を引っ張りたくなるものです。その証拠に、上手くいって目立つ人ほど“叩かれる”“炎上する”ということがSNSなどを中心に行われています。
他人が気になる暇がないくらい、自分に集中していたいものです。というか、そうやって自分に集中してこそ、自分自身をリスペクトしているということになるのではないでしょうか。
では、どうすれば、自分に集中できるのか?自分を認められるのか?
簡単なことではないかもしれないけれど、案外難しいことでもないように思います。なぜなら、人は経験を積み重ねていくうえで、何らかの価値を築き上げているからです。価値のない人はいないものです。
少し脱線しますが、響く方には響くと思うので、ここで言いたいことがあります。価値のない人はいない、というところでいえば、実はわたしは父親のことが大嫌いでした。大人としても、男としても、当然(苦笑)親としても価値を感じられないくらい、自由に生きている父親が憎く蔑んでいました。とはいえ、自分も成長していくと、親に対しては感謝しなくてはいけない!そう思わなくていけない、と頭では思うのですが、気持ちがついていかず、なかなか苦しかったものです。しかし、色彩心理学との出会いにより、その頑なに拒否していた、もつれた感情の糸がほどけたのです。
色は口ほどにものを言う
(色のことを)仕事としてやっていく前に、自分が学んだことの練習台になってもらうため、まずは家族や友人に協力してもらい、色を選んでもらったり塗ってもらったりして実践していったのですが、両親に試してみてもらったところ、仲の良かった母に対しては「なるほど!なるほど!色に出てるね〜」と楽しく色と人・心の関係性を見ていけたのですが、父が選んだ色、父が塗った色に関しては、心の底からこみ上げてくるものがありすぎて、その場では泣くのを我慢し、夜になってふとんの中で号泣しました。「色は口ほどにものを言う」という体験をしたのです。色の意味を理解していたからこそ、父の選んだ色に父の人柄や気持ちを感じ取ってしまったのです。そのときに生まれて初めて、父に対して「愛おしい」という気持ちになれました。どんなに頭では感謝しようと思っても無理だった憎しみの気持ちを消すことができなかったというのに、ただ色を選んでもらっただけで、いとも簡単に「愛おしい」という感情を手に入れることができたのです。
この体験をしただけでも、わたしは色彩心理学を学んで良かったと思っています。さらに、色の意味と向き合う中で、わたし自身もなかなかの自由人であることに気づき始めたとき、実は父から自由に生きることを学んでいたのかもしれないと思うようにもなったのです。子供の頃は友達の厳格なお父さんが羨ましく、門限があったりすることにも憧れがあるほどでした。母が教育熱心だったので、モラルを守ることなどは躾られ、ありがたかったのですが、父が自由に生きていることで、無意識に自由に生きる選択に対しての抵抗がいっさいなかったのかもしれません。つまり、まったく価値のない人間だと決めつけて嫌悪感を抱いていた父にも、ちゃんと価値があったということです。もしかすると、その価値は、わたしの自由な発想や行動の根源になっているのかもしれないくらいです。
安定志向にまったく興味がなく、興味のあることに夢中になり、我が道を行くということに何ら違和感がなく、抵抗もなく、躊躇もなく、自分の道を突き進むことができたのは、父の価値のおかげであると、まさかの父へ対する絶大なリスペクトを感じ取ることができたというのは、感謝に繋がり、あれほど必死になって感謝しようと思ってもできなかったというのに、心から自然に感謝できるに至った、それは色の価値によるもので、本当に最低最悪と感じていた人間に対しても、価値を見いだすことを可能にしてくれた色彩心理学は相当な価値があると感じていますし(だからこそ!多くの方々にお伝えしたい!)、やはり誰ひとりとして価値のない人はいない、そう心から思えることが、わたし自身の価値形成にも役立っています。
いまでは、母だけでなく父に対しても温かい気持ちで向き合えることができた、そんな自分になれて良かったし、この経験をさせてもらえたことで、色の凄みを人に伝えていきたい気持ちも高まりました。本当に憎くて仕方なかったというのに「愛おしい」という気持ちを手に入れることが、色を介することで一瞬にしてできたこと、親子関係で悩んでいる方々に自信を持ってお伝えできるこの貴重な体験を本当にお伝えしたいです。それには、机上の空論の色彩心理学ではダメなんです。色の意味をただ知っているだけでは、そうはなりません。(心から理解できるために、自分の心に通わす色彩心理学の学び方をお伝えしています!)
自分の価値の見つけ方
それでは、他者からの承認欲求を満たそうとして自分を見失わないためにも、自分で自分の価値を認めるにはどうしたらいいのか?について話を戻します。
単刀直入に言いますと、既に自分が実現してきた価値を見直すことで自己の価値を確認することができます。
このブログ記事を読んでくださっている方の多くは、歳を重ねていろいろな経験をしてきていらっしゃると思うのですが、“価値”というと大げさに感じるかもしれませんが、今まで生きてきた人生という道の途中で、価値あることをたくさん経験されていらっしゃるものです。
たとえば・・・・
友達の誕生日のお祝いをして、“ハッピーバースデー○○”と名前を入れたバースデーケーキに立つロウソクの火を消した瞬間に喜んでもらえた、そんな経験はないでしょうか?
ほかには、お料理が得意な人も不得意な人も、恋人に頑張って作って提供したことや、初ボーナスで両親にディナーをご馳走して楽しく食事したこと、学校で自分の意見を述べた、会社で掃除して褒められた、などなど。それらすべて、自分ができることをして誰かに喜ばれたという大きな価値ある体験です。もちろん、自分で自分を満たすといったところでも価値ある事柄は多く、たとえば、自分のお気に入りの場所として自分ひとりでほっこりできるカフェや美術館・公園などがあることなども価値あることです。自分を喜ばせる場所や空間を知っている、自分がリラックスできる香りを知っている、自分が好きな本や音楽がある、そういった事柄は、欲求を満たす・心を満たす性質を持つ大きな価値です。
ひとつひとつ楽しさで満たされたこと、嬉しくて感動したこと、自分の喜びが刺激されたことを思い出してみると、
自分がつくり出した
自分が知っている
自分が所持している
価値の多さに気づけるのではないでしょうか?
そんな価値ある自分をいまいちど認識していきたいのです。
色の意味の中では、イエローゴールドという色に『自己価値』という意味があります。
自分らしさを意味するイエローと、経験を積むことを意味するオレンジが混ざった色で、あらゆる経験を通して自分を知り、自分を育み、自分を楽しみ、ときには自分を見失ったり自信をなくしたり傷ついたりしながら、人としての味が増していき、そうやって培ってきたもの、経験を通して得た価値に気づく、それがイエローゴールドという色を通して学べる『自己価値』です。
イエローゴールドには、自己価値・自己承認・自分らしい輝き・自分磨き・豊かさ・知恵といった意味があります。一方では、深い恐れ・プレッシャー・自己欺瞞・いらぬプライド・傲慢さなどの意味もあります。
恐れやプレッシャーを感じたり、人と比べて自信をなくしたり、自分を良く見せようと背伸びしたり、ときには自分をあざむいたりして、醜い自分が顔を出すことは少なからず誰にでもあるのではないでしょうか?ずっと良い人でいる、完璧な人など果たしているのでしょうか?もちろん、ずっと醜い状態では自分も楽しくないし、周囲にも迷惑な話。だからこそ、いまいちど、イエローゴールドの色の意味の中にあるキーワードを思い出してほしいのです。醜い自分を感じたとき、これはイエローゴールドのマイナス面が出てしまっているだけで、ここから今いちど自分磨きをしていこう、自分の価値を思い出そう、そういう気持ちにシフトチェンジしていただきたいのです。
誰の中にもある自分らしい輝きは、今まで通ってきた人生の道のりの中にすでにあるものです。これから探す必要なんて実はなくて、ひとたび、自分の心が喜んだこと、感激したこと、人と笑顔を共有したことなどを思い出してみれば、すぐに確認できる自分の価値が、けっこうたくさんあることに気づけます。
よろしければ、この文章を読んで終わりにせず、是非!自分の笑顔・誰かと共にした喜びを思い出しながら、自分の実現してきた価値あることを書き出してみてください。自分にとっては些細なこと、もしかすると当たり前と思えることでも、書いてみることで、価値だ!と確認できるものです。