
昨今の自殺率の多さ、人の心の繊細さを感じてなりません。
そう思う気持ちがいけないことなのか実際のところ、わかりません。もちろん、いいことだとは思ってはいません。ただ、いけないことというよりは、悲しいことだと思うのです。
生きていると可能性は無限大です。しかし、無限大だからこそ、未知なる道へ進むことは怖いことでもあります。
「死にたい」とは、死に向かいたいというよりは「生きたくない」という言葉に置き換えられるのではないかと思います。
本心は「死にたい」のではなく「生きたくない」何らかの状況で「生きるのがつらい」「生きるのが苦しい」そのつらく苦しい状態から心を解放するために「死」という選択肢が視界に入ってきているのではないか。人生が楽しければ、わざわざ死を好んで選ぶ理由はない。しかし、その心の状態というのは、他人には理解できないものだと思うのです。
周囲から見れば恵まれているような、幸せそうな、そんなふうに映る人でさえ自ら命を絶つ時代。それだけ、心が繊細であることを誰もが理解しておく必要があるのではないでしょうか。
インターネットの普及に伴い、生活環境や仕事のスタイルはひと昔前に比べてガラリと変わっています。人との関わり方でさえ、LINEやZoomといったコミュニケーションツールが盛んです。
インターネットやSNSなどのコミュニケーションは色で言えばターコイズですが、今日はそこに触れるのではなく、補色のコーラルのほうを見たいと思っています。
補色とは補う色と書くくらいですから、ターコイズを補うのはコーラルということになり、コーラルの意味には“繊細”という意味があります。
この先もターコイズの時代が続く以上、誰もがコーラルの意味を大切にしていく必要があるのだと考えています。繊細な言葉選び、そして、人は誰しも繊細な部分があるということを。
励ましのつもりで、「死んじゃだめだ」「生きていれば楽しいことはある」と言っても、心の中が死にたい気持ちでいっぱいの人に勇気を与えられるかどうかは難しいと思いますし、むしろ「わかってもらえていない」そんな気持ちが強まり、ますます心が塞ぎ込んでしまうことだってあるかもしれません。
そもそも「死んじゃだめだ」という言葉は、ともすると本気で死にたいと思う気持ちを無視する発言にも捉えられます。
死にたいという気持ちが高まっている人へ生きてほしい思いを伝えたいとき、そのときにかける言葉は「死んじゃだめだ」という意見より、優しく「死なないで」という感情的なメッセージではないのか?そんなふうに思うのですがどうでしょうか。これが正解とは思っていませんが、少なくとも、こうあるべきだという考えを言われるよりは、悲しいよ、寂しいよ、いて欲しいんだよ、という気持ちを言ってもらったほうが、少しは心に響くものがあるのではないかと思うのです。
意見やアドバイスより感情的な言葉がいいのではないかと思うのは、過去にカラーカウンセリングを行ってきた中で感じていることです。クライアントさんが選ばれた色の意味をお伝えしますが、数ある色の意味の中からどの意味を受け取るかはクライアントさんご本人が決めることで、その選ばれたメッセージに意見や助言などありません。色を通してメッセージを受け取るとき、そこに表れるのは、クライアントさんの心の声、感情です。
つらく苦しいとき、意見やアドバイスを求めたい気持ちは、もちろんあると思います。それでも、実際に選ばれるのは、ちゃんと自分の中にある答えなのです。だから、心に寄り添うことは、本当に大切なことなのです。
“繊細”という意味のほかにも、コーラルには様々な意味がありますが、わたしが一番好きなコーラルの意味は「ニューマン」です。
新しい人間、という意味です。
いつでも新しい人間になれる可能性は誰にでもあります。ここでの新しい人間とは、別人になるような生まれ変わりという意味ではなく、いろんな経験を超えて、つらいことも、死にたいという気持ちで生きたことも、すべて含めて今ここまでやってきた自分、まるごと含めた状態を表していて、それらをぜんぶ携えてパワーアップしている、より一層深みの増した自分として新しい一歩を踏み出して行ける、そんなニューマンです。
傷ついた気持ち、その傷が深いということは、深い時(とき)を刻んできた証です。
苦しかったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったこと、情けなかったこと、悲しかったこと、涙をたくさん流したことは、どんな一流の学校のテキストにも載っていない、立派な辞書にも載っていない情報で、自分だけが知っている自ら経てきた道のりです。
険しい道を歩いた距離は、長さでは測れない尊さがあります。尊いだなんて思えないかもしれませんが、尊いのです。
そういった意味を込めてコーラルのYouTubeをつくりました。
まだまだうまく表現できませんが、少しでも「生きたくない」気持ちから「ニューマン」の気持ちになっていただけたらと思っています。
死にたいと思うほどの気持ちになったとき、人生の幕を一度降ろして再びニューマンとして生きる、“人生における次の章の始まりのとき”と言えるのではないかと思います。歌舞伎で次の場面へいくときに黒い幕で舞台を隠すように、心に黒い幕が覆いかぶさっているような暗い気持ち、まるでどん底に落ちて、もう這い上がることなんてできないような、そんな気持ちに苛まれているとき、実は次の新しい始まりのほんの少し前の瞬間、そんな状態と言え、お先真っ暗な気分ではその暗闇がそう長く続くものではないとは気づけないものですが、間もなく新しい始まり、新しい光は見える、そんな時だと思うのです。
たとえ、諦めたくなるような気持ちだったとしても、明るい未来へのニューマンを生きることと繋がっている。そんなふうに思うことができたら、世界の見え方は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。コーラルの意味を心で受け止めたとき、そんな心の変化が生じることを期待したいです。そして、共に生きていきたいのです。
コーラルには“共存”という意味もあります。いろいろなことのある世の中ですが、繊細な気持ちで押しつぶされそうになることもあるかもしれませんが、一緒に生きていきましょう。
“生きる選択”をして、ニューマンになれたことを共有させていただきたいです。