絶望に打ちひしがれたときに意識すべきこと

太宰治氏と親交があった
文芸評論家の亀井勝一郎さん曰く

絶望は人生に
必ずつきまとうものだ。

絶望しないような人間は
ある意味で
たよりない人だといえる。

なぜなら小さな自己に満足し
なんらの努力も
考えごともしない人に
絶望は起こりえないからだ。

と おっしゃっています。

確かに 絶望って
努力の後にやってくるものだったり
考えて考えて 考えすぎて
希望や野望や目標などが
打ちひしがれたときに
やってくる感覚といえます。

つまり
絶望しているということは
何らかの理由があって
自分と向き合い
現実を受け止め
人生を生き抜いている証。

亀井さんがおっしゃるように
人生において
つきまとうものであり
絶望しないようでは
たよりないくらいではないかと。

だから 絶望的になって
何だか 生きることに
前向きになれないとか
心身疲れてしまっているとか
気力が湧いてこないとか

そんなことで
今日という日を諦めて
ボーッと過ごすなんてこと
もったいないと思うのです。

いや ときには
ボーッと過ごすことは
いいかもしれません。

今日という日を
諦めてしまうことが
もったいない。

いつ 大きな地震がやってくるか
台風や噴火や はたまた
ウィルスによる さらなる危機感に怯えるのか
何が起こるかわからない
不安に陥る未知がいっぱいの世の中です。

今日という日に
何もしない?
どこへもいかない?
誰とも会わない?
それでいいのでしょうか。

もちろん 出られない日
会うとよろしくない環境
いろいろあると思うし

具体的に何かすることが
偉いわけではないけれど

凄いとか偉いに関係なく
日々は動いているわけで

動けば動いた分
位置が変わり
変わった分
見える部分も違ってきます。

誰かとの会話から気づくこと
何かを見てグッとくること
何かを聞いてハッとすること

ちょっとでも動き出せば
五感のあらゆる器官も動き出すのです。

五感が活性化されると
やがて それぞれの感覚器官が満たされて
α波が出て寛いだ状態になれたり
アドレナリンが出てヤル気が出てきたり

ちょっとしたことがキッカケで
脳内物質やらホルモンやらが
良い感じで分泌されてきて
心身健やかな状態になったりもします。

考えることができる
感じることができる
だから 絶望を感じることもある
当然 希望を抱くこともできる

目標を持って突き進んだり
理想を掲げて努力したり
野心を抱いて底力を見せつけたり

それは 決して単なる根性論ではなく
人間の無限の可能性だと思います。

絶望も希望も
もとは 同じ出どころといいますか
根底にあるのは
心かなと。

その心を
暗いものにするのも
明るいものにするのも
自分自身ではないでしょうか。

暗いことがいけないわけではなく
その背後には明るさがあることを
忘れないでいたいものです。

白と黒があるように
光と闇があります。

どちらもなくては困るのです。

日が落ちて夜になったとき
電気という明るさは必要ですが
就寝時には
煌々と眩しい明かりは控えて
電気を消したほうが
目が休まり 刺激なく負担なく
休息できます。

明るさも暗さも必要なのです。

絶望を暗さ
希望を明るさと
対比させてみると

夜明けが過ぎるように

絶望を感じるということは
次は 希望の出番です。

無理に希望を持とうとしなくても
絶望の次にやってくる希望の感覚は
無意識にスタンバイOKでは
ないかと思うのです。

暗くなってしまったときは
明るさに敏感なはず。

希望と絶望をあえてセットに
してみることで
意識してみることで
少しだけ動き出してみることで
何かが変わり出すことでしょう。

絶望の先は 真っ暗闇ではないのです。
その先にあるのは 光。

明日の日差しかもしれないし
心の根底に燃え続ける情熱かもしれない。

どんな光が先にあるのか
もしかしたら
いま気になる色がヒントになるかもしれません。

色は 可視光という光であり
心と共振・共鳴する振動を持っているからです。

どんな光が待っているのか

遊び感覚で知ってみるのも
面白いものなので
よろしければ コチラの色を選んでみませんか?

気になる色から
自分へエールを送ることができます。

コメントは利用できません。

もっと色のことを知りたい方へ

メルマガに登録する
テキストのコピーはできません。